
シリーズ『編集長キコの Enjoy! Work Life』は、クリエイターでありordinary編集長のキコがお仕事のあれこれを語るエッセイ。 月2回更新予定。
「毎日の積み重ね」なんていう言葉をよく聞く。実際、これをしっかりと実践できる人はあまりいないんじゃないかと大人になった今、思う。
幼少時代から「こんなに何事も積み重ねられないのは地球上のどこを探しても自分だけだ」と思っていたわけだが、実はできているように見える人たちだって永久に何かを積み重ねているわけではなく、彼ら彼女らも当たり前のように始めたことを途中で投げ出したりもしているんだそうな。
ただそれでも私は、私には到底真似できない「積み重ね」に多大なる苦手意識を感じていた。
子どもの頃、『進研ゼミ』を毎日2ページずつ進めているという友人がいた。その友人は、東北有数の国立大学を出て、今は医者になったと風の噂で聞いた。
彼女は、「毎日1時間も勉強していないの」とあっけらかんと言っていた。学校でちゃんと授業を受けているし、苦しくなるほど勉強をしているわけではないと。ただ、テスト前に根詰めて一気にやるよりも、毎日少しずつ積み重ねておけば未来の自分が楽できるでしょ、と笑った。
小さな学校だったが彼女は常に学年1位か悪くても2、3位で、当たり前のように進学校に入学して当たり前のように良い大学に入ったわけだ。
さて、彼女と私の違いは明確だ。積み重ねたか、積み重ねていないか。ただそれだけのことなのだ。

私は何かを「積み重ねる」ことが苦手だ。だからこそ夏休みの宿題は最後に一気に終わらせていたし、この原稿だって公開予定の直前に慌てて書いている。
彼女の言う通り、毎日積み重ねておかないから未来の自分が苦労する(なう、な)わけだが、それがわかっていてもなお、何かを積み重ねるのが苦痛で仕方がないのだ。
私はずっとこの現象を、やる気のなさと怠惰と後回し癖のせいだと言って処理してきた。自分の抱える、ある種の体質や障害のようなものなのだと。
しかしある日ふと気がついてしまった。根本は障害ではなく、恐怖心なのだと言うことに。
原因はシンプルだ。何かを積み上げるというのは、何かを中途半端で終わらせることの繰り返しなのである。つまり私は、この中途半端が怖いのだ。
進研ゼミを毎日2ページ進めていた友人は、どんなに先に進みたくてもぐっと堪えて2ページで終える。しかも、国語、数学、理科、社会と複数の教科でこれをやるのだから、中途半端のオンパレードだ。
私はどうやらこれが、とてつもなく気持ち悪いのだ。
夏休みの宿題も原稿も、手をつけたからには最後まで、最後までが無理なのであればせめてキリのいいところまで進めたい。
「中途半端にしたくない」という一心で何事も一気に終わらせようとしていたが、結局は時間が足りず中途半端に終えてしまうことにもなりうる。というかほぼ100%の確率でそうなる。最後まで完璧に終わらせるためには、積み重ねる、つまり、中途半端を何度も繰り返さないといけないのだ。
まるで言葉遊びだが、本当にそうなのだから仕方がない。
結局お互いどこかで中途半端を乗り越えなければならないのだから、どちらにしても同じこと。点で見るか線で見るか、マクロで見るかミクロで見るか、ほんの少しの視点の違いが、彼女と私の違いだったのかもしれない。
ところで冒頭の通り、日頃から積み重ねまくっていると勝手なイメージを持っていた彼ら彼女らだって、実は永久に何かを積み重ねているわけではないそうだ。そう言えば医者になった彼女だって、ブログを途中で書かなくなったと言っていたし、始めた趣味が続かずさっさと見切ってしまったとも言っていた。
これまで自分とはそもそもの人種が違うと思っていた彼ら彼女らも、実は致命的な違いはなかったようだ。
私は積み重ねを美化し、特殊化し、恐れおののいていただけだったのだ。
早く気がついていれば、私も今頃医者になっていたかもしれないなあ、などと都合よく思いながら、今回もすべり込みでこの原稿を書き終えるのだった。