
シリーズ『青紗の本棚』は、作家/ライターの田中青紗(たなかあさ)が、自身の本棚から選んだ一冊をもとに広がる思考や体験を綴ったエッセイです。つい本棚に手を伸ばしたくなる不思議な体験をあなたに。 月2回更新予定。
「常に公式にふざけられる場所を探しているきらいがある」
この一文を読んだ瞬間、私のアドレナリンが上昇した。
どういう意味かざっくりと説明すると、「この時間はふざけてもいいですよ」と許可が出ている場所やチャンスを嗅ぎ回っているということ。イベントの催し物や結婚式の余興など、安心安全の体制で、全力を出してふざけられる“何か”を探している傾向があるということだ。
ぱらりとページをめくるたびに、私の心の中にひっそりと飼っている「ふざけたい青紗」がむくっと起き上がってくる。
私も、公式でふざけられる場所を探しているきらいがある。
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年齢を重ねると、ふざけにくくなる。
いい意味で「ふざける・はっちゃける」がしづらい。「もうそういうことをする歳じゃないから、ね?」という、社会全体の圧力から生まれた羞恥心や自制心が働いた結果、私たちはふざけることを徐々に封印するようになったと思う。
私だってそうだ。パッと見て「ふざけなさそう」「大人しそう」と言われる率が人と比べてダントツに高いし、私がふざけたがっていると知っている人は少ないだろう。
だけど、だ。
許されるのなら、私はふざけたい。誰かにドッキリやサプライズを仕掛けたいし、ミッションをクリアするためにチームメンバーと協力して街中を駆け回ってみたいのだ。
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そんな私の“ふざけたい願望”を完璧に満たしてくれるイベントが、数年前に開催された。
当時所属していたコミュニティのオンラインお祭りイベントである。
各々がやりたい企画を提案していいとのことで、私はそこで大喜利バラエティ番組の真似をして「IPPONグランプリ(風)のチェアマン」に立候補した。
コミュニティが公式に「この日はみんなで思いっきり遊ぶ日ですよ!」と認定してくれている日なのである。これはもうやるしかない。チャンスしかない。ここを逃して、私はいつIPPONグランプリのチェアマンになれるのだろうか。
せっかく開催するのなら、少しでも「それっぽさ」を演出したい。ということで、事前準備も徹底する。
再現度を少しでも高めるために、過去の「IPPONグランプリ」を視聴し傾向をおさらい。お題・スライドを作成し、リハまで実行。スライドの出し方、進行の仕方に分かりづらい点がないか、客観的なアドバイスをもらう。
チェアマンっぽさを出すために衣装も考える。「帽子(ハット)を被ればそれっぽくなるんじゃね?」と思ったものの、我が家にそれっぽいものがなくて、前夜にダンボールで自作。当日の朝、家族にビデオ電話をして見え方のチェックをしてもらった。
なんてことをしていた。一人で。
当日は笑ってもらえて無事に終了。私は思う存分にふざけられて本当に幸せだった。
そういえば、皆にバレないように前髪を1cmずつ切ったこともあったっけ。一つ一つを思い出すとちょっぴり恥ずかしいけれど、ゲラゲラと笑いながら準備したり実行に移したりする瞬間はとても楽しかった。
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厄介なことに、私は軽くではなく本気でふざけたいタイプなので、事前準備やリハを重ねがちである。そのため、相手からすると「ちょっと思ってたのと違う」となるケースがあるのだ。そう、私は“重い”のだ。
だからこそ、安心して本気でふざけられる場所や機会はそれはもう貴重である。機会、場所、人、タイミングなどがカチッとハマる瞬間が少ないからこそ、貴重な一瞬を逃さないように、私はひっそりとチャンスを伺っている。
一緒にふざけてくれる人と出会えたときや、熱量のベクトルが一緒だったとき、私はとても嬉しい。
「これってさ」
「リハ、いるよね」
なんて会話ができたとき、一生この子についていきたい気持ちでいっぱいになる。
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『常に公式にふざけられる場所を探しているきらいがある』
『風と共にゆとりぬ(著・朝井 リョウ)』
私はいつまでも「ふざけられる大人」でいたい。
時には失敗をするし、もしかしたら「何やってんの?」とバカにされることもあるかもしれない。いや、きっとほとんどが「何やってんの?」だろう。
ふと冷静になったときに、「いい大人だからふざけるのはやめたほうがいいか……」なんて思う夜もあったけれど、朝井さんのチャンスを伺っている姿勢にものすごく勇気をもらった。めちゃくちゃ元気になった。
朝井リョウが狙っているのなら、私も安心して狙っていきたい。
少しの工夫で周りを楽しい気持ちにできたら嬉しいじゃない。振り返ったときに「あのとき面白かったなあ」と言える思い出を増やせたら楽しいじゃない。
完全に自己満足な世界だけれど。
チャンスが到来したときに「これがやりたい!」とすぐに動けるよう、今日も私は公式にふざけられる場所を探している。