
シリーズ『編集長キコの Enjoy! Work Life』は、クリエイターでありordinary編集長のキコがお仕事のあれこれを語るエッセイ。月2回更新予定。
スタジオジブリの長編アニメ「耳をすませば」を初めて観た十代の私は、自分もいつかきっとなにがしかの技能を手にし、なにがしかの職人になるのだと信じて疑わなかった。
寝る間も惜しんで文章を書き、成績を落としてまで執筆に勤しんだ主人公・雫のように、私もきっといつか情熱を傾けられる何かと電撃的に出会い、ひたむきにそれを鍛錬し、いつかは職人になれるのだと。
時は過ぎ、そんな私もいつの間にやら三十五歳になろうとしている。きっと今頃雫はそこそこ有名な作家にでもなって本の十数冊は出版しているだろうというこの歳に、私は今もまだ、何者にもなれずにいる。
なれていないどころか、会社にも属さず立派な役職も持たず、フラフラとかわしかわして、ここまで来てしまった。
私は、私を私たらしめるもの。そういう存在に憧れてやまないのだ。
アイデンティティクライシスのようなものだな、と私はしばしばこのなんとも言えないモヤモヤを解釈する。「私はこれなんです」とはっきりと言える友人を見ると、羨ましいなとやはり未だに思ってしまうのだ。
私は今フリーランスとして働いている。前述の通りこれと言って突き詰めたものはないものの、十年近く続けているライターの仕事や編集の仕事を始め、趣味から仕事になったカメラマンや動画クリエイター、イラストレーター、Webデザイナーなど、手広く細々とやってきた。
そう自己紹介すると、「すごいですね」「なんでもできるんですね」なんて言っていただけることもあるが、事実は全くの正反対。正確には、なにもできないのだ。
誰かがその人生をかけて研ぎ澄ましていくような技を手に入れることは一生ないし、人に職業を聞かれてしどろもどろになってしまう毎日がこの先一生続くのだから。
さて、近年私は自分のその悲しい運命を受け入れようと努力を続けてきた。それは、がむしゃらに泥臭く、一途になにがしかを目指し切磋琢磨している人を遥か彼方後方から眺めながら、それを追わず、迷わずに回れ右する努力だ。合言葉は、「あなたはあなた、私は私、人には人の乳酸菌」。
自分もそこにいきたい、今なら間に合うかも、なんていうほのかな希望を押し込めて、今私ができることと求められていることを組み合わせてやっていく。誰かが深く深く掘っている間に、私は広く広く掘ってきたのだから、井戸はできなくても池か沼くらいはできるかもしれない。いや水溜まりかも。
とにかく、私はそうやって拡大と膨張を続けてきた。そうすることでなんとかその場を切り抜けてきた実感があった。しかし先日、私はふとあることに気がついた。
私は今、他言語を話している、と。
それはいつもの仕事での出来事だった。ある部署とある部署の間に立ち、問題を把握し状況を整理し仕事を振る、所謂ディレクションの仕事だ。
ある部署とある部署は近からずも遠からずの場所にいて、それぞれが異なる分野の職人同士だ。恐らくその職人同士には共通の言語がない。お互いの都合や要望をただ主張したところで、結局全くわかり合えずに終わってしまうだろう。
私は広く浅くやってきたのだから、ペラペラとは行かずとも、どちらの言語もカタコトくらいには理解できる。共通言語を話せる人はこういう時にこそ、その能力を発揮できるのだ。
私が間に入ったことでコミュニケーションが進み、砂が積もって滞った川の水が海に流れ込むように、仕事がスムーズに動き出したのだ。

「コミュニケーションがすべて」という言葉をどこかで聞いたことがあって、えらく納得したものだが、その最たるものが言葉だと私は思っている。言葉の秘める力はとんでもない。ひとつの物事を裏表ひっくり返してしまうほどの強大な力を持つ。
ただしその言葉は、日本語や英語のような『言語』の話だけではない。詩人には詩人の、大工には大工の、医者には医者の言語があると私は思うのだ。
私はひとつのことを突き詰めた職人ではないかわりに、広くさまざまな世界とその言葉に触れてきた。多くの言葉を知っているからこそ、共通の言語で詩人に寄り添い、大工に共感し、医者と夢を語ることができるのだ。そして全員を理解できるからこそ、その三者を繋ぐことだってできる。
もしかしてこれは、「器用貧乏」と言われる私にとって唯一、富豪になれるチャンスなのかもしれない。自分に与えられた“悲運”と思っていたものが、希望に変わった瞬間だった。あの日あの時、どうもがいても雫にはなれないのだと気が付いた時の自分に、今こそ語りかけたい。
「回れ右して、遠回りしろ!」
これこそが器用貧乏の生存戦略なのだ。